こむぎのお家

心からの好きを見つけるため日々思考の整理をしています。

後悔しない人生を歩むため私は教師を辞めましたpart1

こんにちは、こむぎです。

 

私は新卒で中学校教師になり、4年で退職をしました。今回は、私が教師を辞めた理由と当時の葛藤をつらつら書いていきます。

まず初めに、みなさんにお伝えしておきたいことは、

私は教師という職を今も尊敬していますし、心から「教師」であった自分を誇りに思っています。そして、子どもたちとの思い出は一生自分の宝物であると思っています。

 

私の教師人生を紹介すると、4年間公立中学校で英語教師をしていました。また、学級担任と運動系の部活動の顧問を同じく4年間していました。教員免許は小・中・高と持っていましたが、子どもたちとの距離が遠すぎない、成長が直に感じられる、ある程度教科指導もできる中学校に魅力を感じ、中学校教員になりました。

 

[毎日朝から夜まで教師であった自分。教師1〜2年目]

私の務めていた学校は決して荒れているわけでもなく、ごく普通の学校でした。子どもたちと過ごしている時間はとても楽しく、子どもたちから学ぶことも多く。人のために生きていくことにとてもやりがいを感じていました。しかし、教師の仕事は子どもたちと関わることだけではなく、毎日の授業準備や提出物の点検、会議のための提案の準備、定期考査作成と言い出したら終わりはなく、平日は7時半から夜の9時過ぎまで学校にいてひたすら次の日の準備をし、学校でやりきれなかったことを帰ってから家で日付が変わるまでしていました。土日は部活動の指導をし、帰ってからは溜まっていた家事洗濯をこなしながら、次の週の準備を家で夜遅くまでしていました。(当時は同じ時間まで働いている人がおり、この働き方がおかしいという感覚さえ1.2年目はなかった。)

 

こんな生活スタイルを続けていたある日、朝起きると喉が腫れ、舌が動かしにくくなり上手く話せなくなりましたそれでも当時3年生の担任をしていた私は自分の体の心配より受験を控えている子どもたちに、先生たちに迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちが勝ち、病院にも行かず、気休め程度にロキソニン(炎症を抑える薬)を飲み働いていました。(効いていたのかはわかりませんが。)子どもたちには、笑って誤魔化しました。職員室でも1度、上手く話せなく悩んでいると話をしましたが、『俺もそういう時期があった。俺の時はもっと大変な学校で気持ちが沈んで大変だったよ。』と言われ、「みんなも経験することなんだから。」と何故か泣きそうになる自分に言い聞かせていました。

 

それからも喉が腫れる頻度は減ることなく、反対に月に1回から2回へ。症状が治まるまでに大体1週間かかっていました。寝る時には、ロキソニンを飲まないと不安になっていました。また、その頃からご飯を食べると猛烈に眠気に襲われるようになり、少し食べては食べるのをやめていました。友達から楽観的と言われる私は、「痩せられるじゃん。」と思い、自分が精神的に弱っているそんな感覚はありませんでした。

 

また、『教師は演者であれ』と良く言われるんです。プライベートで何かあっても生徒前では、元気を引き出せる存在であれと。この言葉は大切なことだと思います。しかし、当時の私は変な受け止めをし、24時間「教師」という職を自分から引き離せなくなってしまいました。。。

 

 

今、思い返して書いていても、よく倒れなかったなと思います。あー、自分がこわい。

私が教師を辞めるまでの道のりをこの投稿で書こうと思ったのですが、長すぎて1.2年目しか書ききれませんでした。どん底の私がどのようにして自分を救ったのか、引き続きブログで書いていきたいと思います。

最後までこのブログを読んでいただきありがとうございました。まだまだブログの初心者ですが、文を書くことに楽しみを感じている今日この頃です。これからもよろしくお願いします。