後悔しない人生を歩むために私は教師を教師を辞めましたpart3【完】
こんばんは、こむぎです。
今回の記事は『後悔しない人生を歩むため私は教師をやめました』のパート3【完】を書いていきます。まだ、1回も読んだことないという方がいましたら、下にこれまでの記事を載せています。私の教師時代のリアルな葛藤を読んでいただけたら、嬉しいです。
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[自分の人生を他人に決められた私。教師3〜4年目。]
教師歴も3年目に入った私は、基本6.7時には家に帰るようにするなど、これまでとは全く違った働き方を心がけるようになりました。(残念ながら、仕事を減らす魔法は使えなかったので、仕事の方法を少し変えました。)
まずは、無数とある仕事に優先順位をつけ、期限が近い順から順に手をつけるようにしました。そして、帰る前には、次の日に何からすべきなのか付箋に書いて帰りました。題して『時間のロスをゼロにしよう作戦』単純ですが、私には有効でした。(それでも予測不能なトラブルが起きた時には、遅くなっていましたが。)
嬉しいことに、働き方を変えた頃からあの喉が腫れるという謎の症状は出なくなりました。
そして、またまた嬉しいことに私に変わるきっかけを作ってくれたあの外国人の友達ともうまーく事が進み、結婚することに。
当時の私は、嬉しいことが続いていたため、こんなに幸せでいいんですか?っとRADWIMPSのあの有名な曲が脳内で流れていました。はい。
そんなこんなで職場に結婚することを伝えることに。(当時は中学2年生の担任をしていました。)
あのよくドラマとかで見る結婚報告みたいになるんだろうなっとこの時の私は思っていました。
私:「私事ですが、この度結婚することになりました。」
同僚A:「えー、そうなの?おめでとう!よかったわね!」
同僚B:「そうなんですね!おめでとうございます。」
私:「ありがとうございます。でもわたし的には、まだ何も自覚がないんですよ。」
同僚A:「これから少しずつ嫌でも出てくるわよ。」
なーんてたわいもない話をしていました。私も「そうなんですか〜。大変だなぁ。」と笑いながら、温かい祝福をいただきました。
しかし、私のその嬉しい気持ちは次の発言で1ミリも無くなってしまいました。
同僚C:「でも、あれだね。今は子どもを産むのは無理だね。次は3年生だから。」
同僚B:「そうですよね〜。 しかもまだ教師歴浅いし、次の学校はきっと大変な学校に行くし、そこで慣れてからですよね。3.4年とか?」
え?
何言ってるの?
今この人たちは勝手に私の将来を決めているの?
子どもを産むとか、そういう話題はもっとデリケートな話題だと私は思っていました。
このご時世不妊に悩んでいる方もたくさんいます。私自身もどうなのかはわかりません。だからこそ、そのような発言はもっと気をつけるべきだと私は思っていました。
しかし、その場にいた人たちはその発言に対して違和感を抱くわけでもなく、むしろその発言に賛成しているようでした。
「コノヒトタチハ、ナニヲイッテイルノ?」私はあまりの衝撃で何にも言えなかったのを覚えています。はっきり言って、あの場の空気は私には耐えられませんでした。
その時、私の中にあった安定を捨てきれない優柔不断な気持ちは一気に吹っ切れ、退職という決断ができました。
「自分の将来は自分で決めたい。後悔したくない。」と。
その後すぐに、私は学校へ退職の旨を伝え、1年後退職をしたのでした。
これで、『後悔しない人生を歩むため私は教師を辞めました』の完結となります。
今も私が教師を辞めたと言った時、周りからは、
「せっかく教師になったのに、もったいない。」「早くない?」と言われます。
でも、私自身は後悔はなく、それよりも
『私は学校という狭い世界が全てで、その小さい世界の価値観や判断基準が1番正しいと思う人になりたくない。』と決断した自分に今も誇りを持っています。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
□最後にどうしても伝えたいこと
パート1の記事で嬉しいことにコメントをいただいたのですが、その中で「教師の仕事は割りに合わないとよく聞きます」ということが話題に上がっていました。それはお金に対してなのか、時間に対してなのか、対象によって変わってくると思いますが、「教師の仕事と時間」と考えた時、私はやはり自分の身体を大事にできなかった経験から割りに合わないなっと思ってしまいます。しかし、教師の仕事は人と人が深く関わっていく仕事で、他では体験できない感動や経験ができる仕事でもあります。そのため、「何が問題なのか」と物事をはっきりできない難しさや歯痒さに苦しんでいる教師の方もいるのではないかと思います。これは別に教師という職に限ったことではないと思います。
ただ自分が働くにあたって、自分が大事にしている基盤(価値観)がちゃんと守られているのであれば、周りは関係なくその道を歩んでいけば良いと私は思っています。